母と過ごした19日

2012年10月19日 母は寝室で首を吊りました。脳死から心肺停止までの看取り期間。機能不全家族の果てのうつ、ママと自死遺族の苦しみを綴っていきたいです。

母が倒れた日④

時系列で纏めている為、
正しくない記憶や知識があると思います。


当時の私も、身内にうつを抱えながら
今よりずっと偏った目で見ていました。


母が亡くなってから
日常を取り戻そうとする心とは裏腹に
心身ともに病んでいきました。


自身も心療内科、クリニック、カウンセリング
と渡り歩き、それでも、病んでいきました。
(振り返ることが出来るようになった最近まで、そこまでの自覚はありませんでした)


母や妹以外にも近しい友人がうつになったと話を聞いてきました。


物分かり良く話を聞いていた一方で
うつの表面しか理解出来ていなかった。


妹のうつを甘えと決め付け
母がうつかもしれない、と告げてきた時も
「そんな筈はない」と否定してしまった。


うつを受け入れたつもりでも
母の気持ちに寄り添うことは出来なかった。


頭でっかちの知識より、
ただ抱き締めることが何故出来なかったのか。


大丈夫、一人じゃないよ。


言葉でそう告げながら
根本的な原因の改善をしようともしなかった。
(父と私それぞれで、母の介護を競い合ってる状態でした)


父の実家に嫁ぎ、
お嫁さんとして完璧だった母。


炊事や掃除洗濯が出来なくなって、どれほど心苦しかったことか。


「本当なら、貴女がお父さんの世話をしなければならないんだよ」


そう言われ続けても
父を憎み、妹に腹を立て、私は私の生活を送り続けていました。


母を失うことに比べたら、どんな努力も出来た筈なのに。


誰に指摘されるまでもなく、親不孝で最低な娘です。


たくさんの人に依存し、或いは、依存され、
母の重圧はどれほどだったのか……


今日は寝ます。
読んで下さり、ありがとうございました。