17日目
病院泊。
8時に父が来るも
話し合いにならず、こじれる。
母に生きていて欲しい一方で
先の見えない介護に父も疲れていたのでしょう。
妹からの提案で、
消灯前はなるべく病院の方にお任せをして
消灯後、何かあった時、家族の連携を取ろう、
と言うことになりました。
この頃にはすっかり、病院の方を信頼していましたが
母を看たい、看取りたいと言うわがままで
多大なご迷惑をおかけしてしまったと思っています。
それでも、母の傍に居たかった。
危篤後はもう
体交の度、頭の角度、
それだけで不安定になっていく母の数値……
ノートにも
「体交の際、枕を抜く」
「左向きは安定して良い」
などの記録しか残されていません。
今なら冷静に、
母とのお別れが近付いているとわかります。
当時の私は、長時間の休めない仕事の時、
どうやってシフト調整しようか、そのことばかり考えていました。