母と過ごした19日

2012年10月19日 母は寝室で首を吊りました。脳死から心肺停止までの看取り期間。機能不全家族の果てのうつ、ママと自死遺族の苦しみを綴っていきたいです。

19日目~物言わぬ母帰宅~

母が亡くなってからも、大忙しでした。


警察に連絡、規則に基づき検視
その間、裸の母を一人にしなくてはならないのが辛かったです。


その間にも葬儀屋さんへ連絡。


何も考えていないように見えた父の
「〇〇が良い。叔父さんの葬儀に参列した時、綺麗だった」
の言葉で、病院近くの葬儀屋さんにお願いすることとなりました。


病院から自宅に戻して頂くところから、葬儀屋さんが関わって下さります。


病院に相談したところ、リストを渡して下さり
人目につかない場所で、葬儀屋さんに連絡を取りました。


優先順位(浄土真宗)として、


・お寺
・火葬場


になるとのこと。


その連絡を父に託し、
仕事先にその辺りの仕事を空けて頂くよう、電話をしました。
(母が倒れたことも亡くなったことも伝えませんでした)


検視が終わり、死化粧を施して頂く為、病院の一階へ。


搬出口のすぐ近く。


お清め、新しいパジャマを。


自宅で看る際に着せようと下ろしたのですが、
考える間もなく、そのまま見送ってしまいました。
(ドレスはその上から被せて頂きました)


穏やかな年配の女性が、
母の使っていたメイク道具を使って最期の化粧をして下さりました。


悩みも苦しみもない、穏やかな母の顔。
変な話ですが本当に、まるで眠っているかのようです。


生前を想わせる母に再び涙が。


搬送の為、葬儀屋さんに母を託した
空になったベッドを見た時、すごく悲しかった。


19日間、母は確かに生きてた。


家族全員、悲喜こもごも。
喜怒哀楽を共にしたベッドが、本当に空っぽになってしまった。


搬送される際、
病院の看護師さんが深々と頭を下げて下さりました。


母は本当に居なくなってしまった。
母が自宅に帰ってくる。
告別式まで踏ん張らなくては。


様々な想いを抱えて、一番最後に病院を後にしました。


19日間、お世話になった病室を引き払い、
母の私物を纏め、自販機で買った焼きおにぎりを食べて……


自宅に戻ると
葬儀屋さんが母を寝室に運んで下さっているところでした。


何時も使っていた布団の上に、白い布を掛けて頂いて……


パジャマのまま見送ることになると気付いたのは
だいぶ後になってからのことです。


葬儀屋さんのパンフレットを頂き


・予算について
・遺影に使う写真
・棺桶に入れるもの
・故人が好きだった物、音楽


それらを考えて準備して下さいとのこと。


通夜、告別式は、中一日空けた木・金曜。


家族全員一致したのは
「母も望んでいた家族葬にしよう」
と云うのと、


折り合いの悪かった兄・兄嫁には来て欲しくない。
(代わりに長男である従兄に参列して貰う)


と云うことでした。


ここから告別式、荼毘にふされるまで
家族で過ごせる時間は刻一刻と短くなって行きます。


この日は母を囲んで家族全員、遺体の傍で就寝しました。


・葬儀屋さんとの打ち合わせ
・見送るまでの、出来る限りの努力


また明日に続きます……