16日目
峠を乗り越え、
母も私達も落ち着いていました。
母の数値を記したり、
お洒落が好きだった母の、身形を整えたりと、
危篤前のペースを取り戻しました。
その時にして思い返すと、
・お洒落に興味がなくなる
・見た目を酷く気にする
・気に入っていた服を手放したり、新しく買い直したりする
(私には、痩せてサイズが合わなくなったから……と説明していました)
の傾向があったと思います。
元々、神経質な箇所があるので、
「はいはい、また」と聞き流していたのが、
今となっては本当に悔やまれてなりません。
倒れる直前まで、便秘と下痢を繰り返し、
異常なまでに気にしてその都度薬を買いに行ったり。
死にたいと口走りながら
内視鏡の検査を受けに行ったりと
私からして見ればちぐはぐな言動が続き、
適当に受け流す癖がついてしまっていました。
うつに辿り着くまで、何軒も病院を訪ね歩き
診察の送り迎えでは、無表情な岩のような母を乗せて行ったこともありました。
それらの全て、全部が母のSOSだと思うと、
自分が情けなくて、許せなくて……
二度と会えなくなるくらいなら
お別れがわかっていたのなら
幾らでも話を聞いて、優しく笑うことが出来たのに、と思ってしまうのです。