母と過ごした19日

2012年10月19日 母は寝室で首を吊りました。脳死から心肺停止までの看取り期間。機能不全家族の果てのうつ、ママと自死遺族の苦しみを綴っていきたいです。

幸せの定義

幸せって何だろう
幸せと不幸せ


母を亡くしてから、普通がわからなくなってしまった。


信じていたもの、価値観
常識、非常識も。


母を亡くすまで、いわゆる普通の家族だと思っていました。
家族間の不仲や諍いも、母を追い詰めるまで、良くあることだと思っていたのです。


母が亡くなる前から、良くしてくれる友達がいました。
母が亡くなってからも何かと気にかけてくれ、食事会にも誘い出してくれました。


有難い気遣いを受ける一方で、ちゃんと出来ない自分に疲れていました。


彼女達はちゃんとしている。
親御さんや旦那さんを亡くされてる友達も。


ちゃんとしなきゃと思う一方で
気付けばメイクを忘れて出かけたこともありました。


楽しいけど辛い。
しんどい気持ちが大きくなり、ある日、突然グループから抜けてしまいました。


本当なら、次第に、徐々に……
その手順さえ踏めないくらい苦しかったのです。


あんなに良くして貰ったのに。
自分本位な行動で、友達を傷付けてしまった。


今でもグループは苦手です。
二人以上の行動を避けるようになりました(ベストは一人です)


亡くなる直前、
母は私を不憫でならないと言って泣きました。


世間知らずだから?
家から出ないから?
他の友達と同じように、結婚して子供を産まないから?


同級生のお母さんにお会いした時
娘はまだ一人だけど、元気で幸せなら良いのよ!と。


他のお知り合いが言って下さる言葉も
母は他人事だからそう言えるんだよ……と
認知を変えてくれることはありませんでした。


私は変わったことがあります。


失礼な人には
失礼を働いても良い相手と思われてる。


自己愛、自慢話、上から目線の人から離れる。
劣等感を抱く人、モラハラからも全速力で逃げる。


そもそも他人に期待しない。


以前ならこんな私で良かったら……と
話の聞き役に徹していました。


人間的に難ありの人と仲良くなって
それこそお母さんのように、まともになって貰おうと
そんな共依存を繰り返していました。


そもそも、相手にとってのまともなど
世間で言うまともからはズレているのに。


常識、他人の顔色、道徳心や倫理観。
全てが崩れました。


やがて、私が私じゃないことに気付き始めました。
どうしようもなく空っぽで
何か一つ決めるのも相手優先。


自分の意見など後回しで丁度良いのです。


そうしている内に、自分は意思の無い人間なんだな……と
次第に気付き始めました。