母と過ごした19日

2012年10月19日 母は寝室で首を吊りました。脳死から心肺停止までの看取り期間。機能不全家族の果てのうつ、ママと自死遺族の苦しみを綴っていきたいです。

2018年11月のブログ記事

  • 姉妹

    法要で帰省していた妹。 実家で好き勝手を黙って見ていたのですが 数日間の滞在で、とうとう叱り付けてしまいました。 自分の常識と妹の常識。 常識と非常識。 個々の人間は違うと理解出来ています。 思考も嗜好も何もかも。 妹と絶縁状態になったのは数年前、 母方の祖母が亡くなった時でした。 妹は親戚付き合... 続きをみる

  • 幸せの定義

    幸せって何だろう 幸せと不幸せ 母を亡くしてから、普通がわからなくなってしまった。 信じていたもの、価値観 常識、非常識も。 母を亡くすまで、いわゆる普通の家族だと思っていました。 家族間の不仲や諍いも、母を追い詰めるまで、良くあることだと思っていたのです。 母が亡くなる前から、良くしてくれる友達... 続きをみる

  • 七回忌

    家族だけの七回忌でした。 お経を上げて頂き、自宅に帰る。 会食も無い、ささやかな法事です。 お経を上げて頂いている間、父はすすり泣いていた気がします。 何年経っても寂しいし、 思い出す都度、辛いんだな……と改めて思いました。 父の全てだった母の存在。 喪失感はどうやっても補える筈もなく 最近では私... 続きをみる

  • 告別式②

    火葬場から斎場に戻る途中でお墓に寄りました。 即身成仏の為、四十九日を待たず、お墓に納骨するのです。 母を自宅に戻して頂いた時、お墓の場所を訊ねられました。 斎場の方が予めの下見と、お墓の掃除をして下さったのです。 「芝桜が枯れているのですが、どうしますか?」 母がお墓に植えていた芝桜は、 時期と... 続きをみる

  • 告別式①

    さよならの朝です。 納棺、出棺、火葬場 お別れは刻一刻と近付いてきます。 お棺の中は母が好きだった物、思い出の品 参列して下さった方のお手紙など…… 宿泊室の冷蔵庫からプリンとアイスを取り出して いよいよ、いよいよなんだな……となりました。 火葬場のバスの中、 母がお世話になった病院を横目に…… ... 続きをみる

  • お通夜

    お経を上げて頂く時間になっても 父とお坊さんは控室から出てきませんでした。 斎場の方は直接呼びに行けないので 長子である私に迎えに行って下さい……と 早速のハプニングです。 後に、父を問い詰めたところ 檀家さんでも自死が多い、あの家もそうだ、と 話し込んでいたとのこと。 守秘義務……とも思うのです... 続きをみる

  • 門送り~斎場へ

    母が自宅を出る朝、 ホテルをチェックアウトしたから、と叔父家族が家にやってきました。 特に妹は、親戚付き合いが苦手です。 門送りも家族だけで、と話し合いをしていた矢先に…… お茶を振る舞ったりとバタバタに拍車がかかります。 「母の好きだった食べ物を持って、斎場に向かって下さい」 咄嗟に、用事をお願... 続きをみる

  • 通夜前日

    母が自宅に帰って来て翌日 不謹慎かもしれませんが、私は午後から仕事を入れていました。 シフト的に休めなかったのと 十日後に大きな仕事が控えていたからです。 午前中からお昼過ぎまで 葬儀屋さんとの打ち合わせ、母が亡くなった連絡、と 休む間もなく動き回っていたのを覚えています。 家族葬にする為に、 父... 続きをみる

  • 19日目~物言わぬ母帰宅~

    母が亡くなってからも、大忙しでした。 警察に連絡、規則に基づき検視 その間、裸の母を一人にしなくてはならないのが辛かったです。 その間にも葬儀屋さんへ連絡。 何も考えていないように見えた父の 「〇〇が良い。叔父さんの葬儀に参列した時、綺麗だった」 の言葉で、病院近くの葬儀屋さんにお願いすることとな... 続きをみる

  • 19日目~最後の朝~

    9時半 病室で過ごす最後の朝です。 10時からBB、MC 10時半から看護師さん立ち会いによる 家族間のカンファレンスを設けて頂きました。 当時のメモによると ・父はうつの一歩手前 ・個人個人、休む時間を上手に作る (時間配分はケースバイケースで) ・現実逃避→受け入れる準備を(メンタルケアを踏ま... 続きをみる

  • 18日目

    10時 洗髪、BB、MCと 看護師さんと一緒に、家族全員で介入させて頂きました。 この頃、SATが低く アラームはずっと鳴りっぱなしです。 体交で誤魔化し誤魔化し繋いできた命が 燃え尽きていくのがわかりました。 16時 父の投げ遣りな態度に腹が立ち 病室から飛び出してしまう。 みんな疲れていたんだ... 続きをみる

  • 17日目

    病院泊。 8時に父が来るも 話し合いにならず、こじれる。 母に生きていて欲しい一方で 先の見えない介護に父も疲れていたのでしょう。 妹からの提案で、 消灯前はなるべく病院の方にお任せをして 消灯後、何かあった時、家族の連携を取ろう、 と言うことになりました。 この頃にはすっかり、病院の方を信頼して... 続きをみる

  • 16日目

    峠を乗り越え、 母も私達も落ち着いていました。 母の数値を記したり、 お洒落が好きだった母の、身形を整えたりと、 危篤前のペースを取り戻しました。 その時にして思い返すと、 ・お洒落に興味がなくなる ・見た目を酷く気にする ・気に入っていた服を手放したり、新しく買い直したりする (私には、痩せてサ... 続きをみる

  • 15日目~二度目の峠

    11/2(金) 母が倒れてから二週間、 二度目の峠も朝でした。 父から「先生から今夜が峠と言われた」と。 その報せに、取るものも取らず病院へと向かいました。 先生の診察によると ・血圧は安定している ・酸素、肺、心拍数の低下 ・脳がダメージを受けている ・明日まで保つかどうか…… とのことでした。... 続きをみる

  • 14日目

    10時起床。 少しずつ疲れが溜まっていく。 心の拠り所は ・むくみを取る ・点眼、口内ケア ・母の数値が安定する でした。 返事の返ってこない母に話し掛け、 母の好きな音楽を流し、 戻ることのない時間を嘆いては前を向く。 その繰り返しでした。 年齢的には、父の心労も重なり 付き添い用の簡易ベッドの... 続きをみる