18日目
10時
洗髪、BB、MCと
看護師さんと一緒に、家族全員で介入させて頂きました。
この頃、SATが低く
アラームはずっと鳴りっぱなしです。
体交で誤魔化し誤魔化し繋いできた命が
燃え尽きていくのがわかりました。
16時
父の投げ遣りな態度に腹が立ち
病室から飛び出してしまう。
みんな疲れていたんだと思います。
仕事でクールダウンしてから再び病院へ。
父からは
「悪気はなかった」
「ごめんなさい」
のメールが届いていました。
今迄も、父に謝らせてしまったのは最初で最後。
妹も交え、母の命の灯についての話し合い。
父→「最悪は考えていない」
今にして思えば、
それが父の支えだったのでしょう。
当時は、現実は私達に押し付けて……の憤りがありましたが、
最悪の事態を考えて、考えないようにして、
が父の精一杯だったのかもしれません。
このブログも含め、命日反応なのかもしれませんね。
私は後追いは出来ません。
遺された立場の辛さや苦しみ、
遣り切れない悲しみの行き場がないことを
少しだけ知っているからです。
突然の別れ。
母とお別れをした後に、お父様を事故で亡くされた知り合いもいました。
未練の無いお別れなんてないのかもしれません。
それでも、「どうして?」と言う想いは、一生消えることはないのです。