母と過ごした19日

2012年10月19日 母は寝室で首を吊りました。脳死から心肺停止までの看取り期間。機能不全家族の果てのうつ、ママと自死遺族の苦しみを綴っていきたいです。

18日目

10時


洗髪、BB、MCと
看護師さんと一緒に、家族全員で介入させて頂きました。


この頃、SATが低く
アラームはずっと鳴りっぱなしです。


体交で誤魔化し誤魔化し繋いできた命が
燃え尽きていくのがわかりました。


16時


父の投げ遣りな態度に腹が立ち
病室から飛び出してしまう。


みんな疲れていたんだと思います。


仕事でクールダウンしてから再び病院へ。


父からは


「悪気はなかった」
「ごめんなさい」


のメールが届いていました。


今迄も、父に謝らせてしまったのは最初で最後。


妹も交え、母の命の灯についての話し合い。


父→「最悪は考えていない」


今にして思えば、
それが父の支えだったのでしょう。


当時は、現実は私達に押し付けて……の憤りがありましたが、
最悪の事態を考えて、考えないようにして、
が父の精一杯だったのかもしれません。


このブログも含め、命日反応なのかもしれませんね。


私は後追いは出来ません。


遺された立場の辛さや苦しみ、
遣り切れない悲しみの行き場がないことを
少しだけ知っているからです。


突然の別れ。
母とお別れをした後に、お父様を事故で亡くされた知り合いもいました。


未練の無いお別れなんてないのかもしれません。
それでも、「どうして?」と言う想いは、一生消えることはないのです。